服をジブンに合わせるのか、ジブンを服に合わせるのか?

令和のこの時代って、生まれてから既製品の服しか着たことがないって人が多いと思うんですよね。

昭和の時代って、お母さんが手縫いやミシンでワンピースやパジャマを縫ってくれた、棒編みでマフラーを編んでくれた、なんてこと、珍しくなかったと思います。

ハンドメイドの服の素晴らしさ

私自身は、たまにセミプロのような裁縫や手芸の好きな知人にサイズを採寸してもらって、ハンドメイドの服をお願いすることがあります。

ガウチョパンツやウールのズボンだったり、自宅の不要な和服から作務衣を作ってもらったり。

すると、「オーダーメイド」の服がいかに自分の体にフィットして居心地が良いか、動きやすいかを痛感するんです。

サイズ表の狭間で服に合わせているジブン

そして、既製品って「服に着させてもらっている」ような、服に身体感覚をあわせにいっているような違和感に気づくんです。

「じぶんはLサイズとLLサイズと買う服によっていつもサイズ選びが難しい」

「ほんとはMサイズだけれど、肩幅だけどうしても合わないからLサイズを選んでいる」

などなど。

世の中には、サイズ表の狭間で悩んでいる人たち、意外に多い気がします。

そんな人たちとオーダーメイドを着て初めてわかる違和感って、根っこの所では共通しているものなのかもしれませんね。

オーダーメイド服が放つオーラ

たまにオーダーメイドの服を着て街を歩いていると、通りすがりの服の詳しそうな人に、着ている服の質問やサイズ感のフィットしていることをほめられたり、不意に話しかけられたりすることも(笑)

先日も、亡くなった祖母の大島紬から作ってもらった作務衣を着てデパートのエレベーターから出ようとしたら、入ってきた品の良さそうなおばあさまが「その大島の作務衣、素敵ね!誰かに作ってもらったの!?似合ってるわ〜」と声をかけられました。

一緒にいた娘さんとお孫さんらしきお連れさんは、ちょっと困り顔していたので、よくある光景なのかもしれません。

見る人が見れば、ボディにフィットしている服なのか、それとも既製品なのか、一発でわかるということなのでしょう。

そうえいば、日常生活でごくわずかながら、日本トップクラスのお金持ちの方と関わる機会があるのですが、ハイソな方たちってぱっと見でブランドっていうファンションではなくて、見るからに質感の凄そうな素材でその人のボディラインにぴったりフィットしている服をお召しになっているなぁと感じます。

そのあまりの馴染んでいる姿から漂う圧倒感って、相手の印象とともに強く残るんですよね。

もっとハンドメイドやオーダーメイドの服を

昭和の大量消費社会になってから、手作りのものってバカにされがちな傾向が少なくなかったですが、最近は「Creema」や「minne」といったハンドメイドの通販サイトも人気です。

既製品のメリットはもちろん素晴らしいものの、少しずつオーダーメイドや手作りのものを生活のなかに取り入れると、もっと日常の身体感覚が豊かになっているような気がします。