北山稲荷大明神(平将門 終焉の地)|茨城県坂東市

茨城県坂東市。

北山稲荷大明神は、地元の人からも存在を忘れられるようにそこにある。

すぐそばに交通量の多い幹線道路があり、チェーン家電量販店や回転寿司が並ぶすぐ裏手にひっそりとした小さな森があって、狭い参道は木々や雑草でできたトンネル、吸い込まれるように分け入っていく。

この記事の情報は2017年6月現在です。

住宅地からぽっかり繋がる異空間

参道の入り口に鳥居も石柱などなくて、近くに住んでよくこの前を行き来していても、ここに神社があるということすら知らない人が大半なのではないだろうか。

それほどこの入り口は見える人にしか見えない、だまし絵のような仕掛けが施されている。

一つの土地を封印するのに物理的な工作など敢えて必要はない。

土砂で埋めるだとか、叩き壊すだとか、お覆い隠しや記録の抹消など痕跡を跡形もなく消すという努力はほぼ意味をなさない。

われわれの国は常に封印すべき存在が生まれ出ると、この世にうまく折り合いをつけて溶け込むかたちでその<異常性>を透明な膜で絡み取ってきた。

そして、何十年すぐそばで暮らしていようと、その封印の場所が「日常意識に立ち上る」ことを限りなく、そして、やさしく許さないのであって、その存在が見事に美しく消しされること、この世のルールを超えた段階としての<合法化>がなされて来た。

封印とは、対象となる存在をかき消してこの世から葬り去るのではなく、そういった意味を担うことも確かにあるのだが、いや、この世に留めおいて、
いつか来るべき<時>のために
備えるのだ。
といった性質のほうが遙かに強い。

藪のような参道。まだ日は落ちていないのに薄暗く、先が見えない。

大きな森ではないため奥まで距離はさほどないはずが、鳥居を過ぎてからなおさら心細い。

途中、倒れ込んだ枝や蜘蛛の巣を払いのけ、ぐっとひんやりしてきたと思ったら、ぽっかり小さな空間が生まれて祠と石碑があった。

 鎮魂 平将門公之碑
  終焉之地 遍田古戦場跡

水平よりも垂直のことを

座標軸で示すと確かに私はここに立っているのであるが、人はつい高度を忘れてしまって、普段生きている。

この世が一階ならば未来は二階や三階で、心霊スポットの標高は中二階や天井裏なのだろうか。

そして私はきっと誰も知らない地下室だったり、扉の忘れ去られた地階に気づけば沈み込んでいるのだろう。

ずいぶんと神社巡りをしてきて、その果てに心霊スポットが気になり始めたというのはなぜなのか。

心霊スポットをパワースポットに変えることが使命だとは感じないし、神社やお寺というものはそもそもそういった性格で成り立っているものが多いので今更感が強い。

そして、神社やお寺は今後増えることはなくても、心霊スポットは漸増していくはずだ。

都市伝説は「都市」であって「地方伝説」でもなければ、「田舎伝説」でもないのは、地表の空間が乾いた都市には心霊スポットのような土着のうごめいたエネルギーが少ないからだ。

土に根ざした生活、大地に包まれるような暮らしのなかでは、土地の空気も、土着の風習も、そこで生きるという感覚も乾くことはなくて、むしろ湿度をいよいよ吸っていってしまう。

「将門記」によると、将門は最後の北山合戦で風の向きが変わり、敵の鏑矢で討死にしたとある。

伝承ではこめかみを射貫かれて絶命したともされており、坂東市内には国王神社他、終焉の地がいくつか残されているものの、この場所は世間にほとんど知られておらず、また坂東市も公式には国王神社をその地と比定しているようだ。

ネットで下調べしていた情報ほど異様な雰囲気は感じなかったが、夕闇の迫る鬱蒼とした森の中、小一時間ほどしっかりと手を合わせた。

【2017年6月8日 参拝】

圏央道で茨城に入って、坂東インターで下りる。 映画「下妻物語」で見たような、のんびりとした平野の広がる地方都市だった。 郊外のま...
平将門の史跡というと東京の将門の首塚なら誰しも知っている。 だが、首があるなら胴体はどうなったのか。 将門の胴塚が祀られているこ...