感じていることと、考えていることを、区別するのはなかなか難しい。
感じていることでも、捉え方が正しいこともあれば、間違っていることもあり、
考えていることも、合理的にどこまで是非が付くのかわからない。
できるだけ、あらゆる可能性、あらゆるリスク、あらゆるアプローチを考えるべきだと思ってきた私は、それで良かったのだろうか。
人との距離感、立場の違い、自分を守るための手段。
様々なものがすべていっしょくたになって溶け込んで行く、私の中の沼。
私は、ずっと、自分の感覚感情を徹底的に信用していない。
合理的に組み立て得たとする思考すら信じ切れていない。
あらゆるものを全て信用せず、否定し、それでも、そんな精査すら忘れて日々、妄動的にその都度判断しているだけだ。
悲しい。
哀しさの先には何もないのだけれど、どうしようもない。
小さい頃から大人の事情に触れすぎてしまったせいだろうか。
それとも家族が引き継いできた歪んだ価値観のためなのだろうか。
私は、この身を守るため、自分自身に素直になれない。
そして、そんなひねくれている自分もまた好きだ。
久しぶりに地元の偉人の足跡を辿るドライブに出た。
急ぎ足の日帰りだったが、資料館や偉人が行動した場所を巡っていると、
本来、この週末、仕事で東京に行くはずだったところが事情で行けなくなったジレンマが蒸散していくようだった。
東京に行くことよりも、遠い時間の足跡を辿っているほうが、とてつもなく現実に感じる。
むしろ仕事や日常の雑事や「東京」といったあれこれのほうが、圧倒的にフィクションに思えた。
そんなふうに感じてしまう自分が愛おしい一方で、どうしようもない諦めを感じる。