2013年7月8日、大阪の姉宅を午後3時頃出発し、そのまま奈良県天理市の石上神宮へ向かいました。
石上神宮と熊野
ポイントで必ず訪れている神社でなにかが始まるゲートのような不思議な場所です。
すぐ近くの大神神社が三輪山全体にあふれる幸せムードに浸るためにやってくるのと対照的に、こちらは始めようとする意思をうまく前へ送り出してくれるような感覚です。
すぐそばで戯れる神鶏たち
不思議とこの石上神宮は夕刻に訪れることが多く、今回も到着したのは午後5時でした。駐車場はすでにオレンジ色の夏の夕陽になっていて、参拝客もまばら。静かな境内の杜を入るといつもながら神鶏が出迎えてくれます。
本殿は工事中
ちょうど回廊型の拝殿周辺を修復工事中で奥の方に進めなかったのが残念でしたが、本殿と出雲社に参拝することは叶いました。
七支刀、布留の魂、刀の鋭くも妖艶なエネルギー。
摂社から見る夕日に照らされる本社
拝殿も摂社も木立から差し込む夕陽が美しい照明となって映しだされています。
国宝・摂社 出雲建雄神社拝殿
夕方の贅沢な一コマ。
猿田彦の導きで
こちらの摂社末社の中でいつも気になっているいちばん山裾に近い祠。調べてみると猿田彦神社でした。ご神体山の息吹をもっとも伝えてくれる清冽なポイントです。
石上からその次へ
今回、公式サイトを見ていて県道の反対側に熊野の高倉下命を祀る神田神社があると知りました。
石上神宮から伊勢そして熊野という流れはなんども浮かんできて 実際にそのラインで回ることも多いため、布留御魂の刀を神武天皇に奉献したという熊野の神様との注目すべきつながりが時間をかけて立ち現れてくるだろうと期待しています。
石上神宮駐車場から名阪国道に出ようとしたら珍しく道に迷ってしまいうろうろしていたら峠越えの県道に出てしまい、やがて以前から行ってみたかった『桃尾の滝』という看板を目にしました。
桃尾の滝と不動明王
石上神宮のご神体山や元宮について調べていたとき知ったのが桃尾の滝でした。
大国見山には明治維新の廃仏毀釈まで奈良時代以前から続いた密教寺院の大伽藍が立ち並んでいたといいます。
空海は一時期衰退したこの密教の修行地を再興したといわれており、桃尾の滝のすぐそばには石仏がいくつも祀られるなか、ひときわ目立つ岩肌に不動明王三尊像が刻まれていました。いわゆる脇侍は矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)です。
ふるべゆらゆらとふるべ
桃尾の滝は古今和歌集にも詠まれたほどの旧跡で布留川の上流に位置し石上神宮の元宮ともいわれています。また、別名を布留の滝ともいうそうです。
『布留(ふる)』というのは石上神宮を考えるうえで大事なキーワードなのでとても興味を覚えます。古神道系の祝詞や鎮魂法にも登場する、重要な音。
[……]汝(いまし)命(みこと)この瑞宝(みずのたから)を以(も)ちて
豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)に天降(あまくだ)り坐(ま)して 御倉棚(みくらたな)に鎮(しず)め置(お)きて蒼生(あおひとぐさ)の病疾(やまひ)の事(こと)有(あ)らば この十種(とくさ)の瑞宝(みずのたから)以(も)ちて 一(ひと) 二(ふた) 三(み) 四(よ) 五(いつ) 六(むゆ) 七(なな) 八(や) 九十(ここのたり)と唱(とな)えつつ
布留部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)と布留部(ふるべ)
此(か)く為(な)しては 死人(まかりしひと)も生(い)き反(かえ)らんと 事誨(ことをし)え給(たま)いし随(まにま)に
饒速日命(にぎはやひのみこと)は天磐船(あめのいわふね)に乗(の)りて 河内国(かわちのくに)の河上(かわかみ)の哮峰(いかるがみね)に天降(あまくだ)り坐(ま)し給(たま)いしを
爾後(そののち)大和国山辺郡(やまとのくにのやまべのこおり)の布瑠(ふる)の高庭(たかにわ)なる石上神宮(いそのかみのかみのみや)に遷(うつ)し鎮(しず)め斎(いつ)き奉(まつ)り[……]
神社巡りをしながらいつも想像力を逞しくせねばと感ずるのは、多くの著名な神社にはそれぞれ神宮寺があったり神事と仏事が区別なく行われてきたということです。
普段、何気なくからりとした空気の神社を訪れるとついついそうした陰の部分を引き受けていた密教やら修験道やらを忘れがちですが、そもそも長い間、いずれも一処に存在したとイメージしながら全体を眺めていくように努めています。
桃尾の滝は手頃な大きさで旅のひと休みにはぴったりの清涼を味わえました。
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