北海道とゆかりのある本について調べてたら、高校の時、作家の三浦綾子さんの自宅の前まで行ったことを思いだした。
号泣した「塩狩峠」がきっかけで念願の旭川へ
もともと小説はほとんど読まないものの、三浦綾子さんの小説やエッセイは一通り読んでいた。
きっかけは、中3のとき、担任から「塩狩峠」を勧められて号泣しながら何度も読み返したこと。
ご夫妻の写真集に自宅の住所があったので、ずっと一度訪ねてみたいと切望していた。
高2の冬休み、補習をサボって青春18切符でまる2日かけて愛媛から旭川へ。
雪道でスニーカーがびしょびしょに濡れて、足がかじかんでしまって、通りすがりのスーパーであわてて冬用のブーツを買った。
歩きやすくなって、また30分近く歩いてようやく三浦綾子さんの自宅に到着。
夫の光世さんとお二人暮らしのはずだけれど、家の中から子供たちの声が聞こえる。
楽しそうな笑い声を耳にしながら、
「ここまでやって来たものの、いきなり訪ねるのは失礼だし、どうしたものか」
と悩みながら、ひとまず近くの銭湯のお湯に浸かった。
体が温まっても玄関のベルを押す決心はつかず、そのまま、夜行列車で次の目的地へ向かった。
三浦綾子さんからお手紙
道内を4日ほど回ってから帰宅してから、どうしても当日のことを含めてあきらめきれず、ファンレターをしたためて投函すると、後日、お手紙と自著の本が自宅に届いた。
今でも私にとって数少ない宝物の一つになっている。
そのお手紙には、冒頭、パーキンソン病で筆が執れないから秘書の代筆で許して欲しいと断りがあった上で、
・その日は年に1度、近所の子供たちを呼んでクリスマス会をしていたこと
・その日は誰でも参加してよかったから、ぜひお話ししたかったこと
・今回のしるしとして、文庫本を一冊進呈したいこと
などが、便せん5枚ほどにきめ細やかに綴られていた。
ちょうど10代の多感な時期。
キリスト教だったり信仰だったり、そういったものに対するあこがれを抱いていた頃だった。
手紙から伝わってくる三浦綾子さんのまっすぐな愛を受け取ったことは、青春の良き1ページになっている。
せつなくてずっと行けないまち
旭川へ行きたい。
結局、あれから行けないまま三浦さんご夫妻も他界されて、ますます遠くからあこがれる地になった。
そろそろじぶんも、10代に置いてきたタイムカプセルを見つけにいってもいい気がしている。
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