“bottom of belief”と「気づき」と「制限」

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一時期、シータヒーリングの講師をしていた友人のセミナーに参加していたことがあった。

シータヒーリングでは、無意識に沈潜する思い込みや先入観、価値観といったものをまとめて「信念(ビリーフ/belief)」と呼んでいる。

ただ、シータヒーリングで使われる「信念」という日本語のニュアンスにしっくりこないところがあったので、創始者であるヴァイアナ・スタイバルの著書を当たってみると、”belief”単体で使われる部分とあわせて、”bottom of belief”としてもよく登場していた。

直訳すると「信念/信じることの底」となる。単に”belief”だけではなく、”bottom of〜”がセットで使われていることが、実は重要なのではないか。

シータヒーリングのレクチャーでは、思い込みや先入観といった比較的ネガティブなニュアンスで説明されるケースが多かった。ただ、実際の英語のニュアンスからすると、もっとニュートラルな印象を受けた。

自分自身を形作っているさまざまな種類・レベルの思いの総体であって、とくに自身が日常の意識で気づくことが難しいものすべてをまとめて「信念(ビリーフ)」と捉える方が、もしかすると本来ヴァイアナがイメージしていた概念と近いのかもしれない。

スピリチュアルでは「気づき」という行為を大切にする。「気づき」とは、シータヒーリングであればこのように「信念」と呼ばれる、これまでの思い込みや手垢のついた常識、もともとは本人とは価値観が相容れないはずの先入観といったものを、真摯に生きることを通して自分が納得いくかたちで感知する、あるいは察知する、そして悟るといった営みになるだろう。

そして、通常はネガティブな思い込みや価値観について自らのプロセスによって気づき、その瞬間に本人が意図しようとしまいとに関わらず、その後の言動がなめらかに変化していく流れが生きる大きな意味のひとつであろう。人間を磨く、と言っても良いし、身を修めると言っても良いだろうし、そこはシンプルに成長するという言葉で意味を完結させてもよい。

こうした「気づき」というものは、世の中ではごく当たり前のように言説されていて、本人自身も頭では「そんなこと当然」と思っていることが多い。多いのだが、実際には頭と心が一致していないし、意識と無意識が見えない形で力強く駆け引きしている。

  • 自分が本当にやりたいことをもっと優先してやろう
  • 人の目を気にせず自分の思いを大切に行動しよう
  • 仕事も大切だが、それより家族や自分の人生のほうがもっと大事だ

このように、言葉にするとごくありふれたものが「信念」であり「価値観」であるものの、私たちはあらゆる思考プロセスにおいて、こうした真っ当な概念を制限し続けている。

制限を解き放つということは、ただ世の中の常識に反して放縦に傾くというのではなくて、もっと意識/無意識のレベルのプロセスであって、スピリチュアルが誤解されるやすいのは、というより一般的にスピリチュアルと呼ばれている何かが忌避されやすいのは、「気づき」を得て制限から解放されるというフローにおいて、どこか地に足の付いていない夢物語のような要素が少なくないせいかもしれない。

そして、気づくべき「何か」に気づいていないのも、制限されている「何か」から解き放たれていないことも、人間の魂という領域の話で言えば、あくまで本人自身が何らかの事情があって気づくこと避けているのであり、制限をリセットすることを自ら諦めている状態であるのに過ぎない。

そして、気づくことの第一歩はメタ認知として常に自分自身の言動を客観的に精査し続けることにあり、それが最終手段だと言える。

 

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