須佐神社のある東須佐地区を探訪したいというきっかけは、本稿冒頭で紹介した「5分間参拝」のほかに宮尾山とはどこか、という疑問にとりつかれたことに始まる。
須佐神社に元宮があった!?
須佐神社の公式サイト並びに実際に参拝した方のブログやホームページを見ると、その由緒について下記のように書かれている。
須佐神社はもと宮内部落の東南にある宮尾山山麓にありしを、五十三代淳和天皇の天長年間(西暦824~833)に、現社地に遷されたという
「須佐神社の由来」(須佐神社社務所刊)より
ただ、この元々須佐神社があったという宮尾山がいったいどこにあるのかまで書かれたものはネットでは見当たらない。
そこで、いくつかのネット上の地図を使って須佐神社周辺を確認してみた。
まず、宮内部落というのは須佐神社を有する集落のことで、旧佐田町時代は大字宮内であり、現在は出雲市佐田町須佐と表記変更されている。
宮内は文字通りお宮の内もしくはお宮の御垣内を意味したのだろうが、昨今、パワースポットブームで須佐神社が有名になったこともあり地名も須佐と改称したのだと思われる。
さて、周辺の山をそれぞれ確認してみると、名前の付いた山は数えるほどしかなく、須佐神社から最も近いのは北東の方角になる黒山(標高525m)であった。
そこで黒山について調べてみると、島根県遺跡データベースに黒山遺跡の表記があり、中世には砦や寺があり、現在も石仏が祀られているとあったが、それ以上のことはわからなかった。
図書館からの朗報
行き詰ってしまったので、それまで調べた内容をもとに島根県立図書館に宮尾山について照会してみると、様々な文献を提示、引用していただいた上で、昨年(2010年)に地元の方々が編集された「ふるさと東須佐」なる資料があって、それには本の編集にあたって実際に宮尾山山頂に登った記述があった。
神社創建の時期は明らかではないが、伝説によると北側の標高473メートルの宮尾山に社があったと「雲陽史」は伝えている。
この山に実際に登ってみると山頂近くにわずかな平坦地と凹地がみられるだけで磐境と見られる形跡も社殿の敷地らしい跡も見当たらない。(中略)宮尾山は「宮の御山」古代信仰の一つ神奈備山であったと思われる。
「ふるさと東須佐」より
国土地理院の地形図を確認すると黒山の南側に473mの三角点を有する山が存在した。地元の人たちはこれを宮尾山と呼んでいるらしい。
何しろ遷宮されたのが1200年近く前なので、磐境や社殿跡が風雨で流されたり埋もれたりという可能性が高いだろうから、旧跡が見当たらないのは致し方ないだろう。
以上からだいたいの目星がついたところで王院山の復路に宮尾山へ向かった。
近くて遠き御神体山
見当を付けていた辺りに来ると、ちょうど寺の石柱がありなんと「宮尾山高松寺」と刻まれている。
この道で間違いなかろうと地図と照らし合わせて山道を登って行くと、15分ほどで宮尾山を正面に拝する地点までやってくることができた。
下から見上げてみるとかなり近い距離のせいかさほど神奈備山という印象は受けなかったが、とにかくとても急峻なので登るにはナタやらロープやらそれなりの装備をせねば難しいだろう。その場で簡単に拝礼させていただいた。
引き返して登り口のところまでやってくると、おばあさん二人に声をかけられた。上まであがっていきなさったのかい?(出雲方言に慣れていないのでこんなニュアンスだったかなという記憶) ご苦労さんなこって。宮尾山を確認できた印をいただけた気がした。
さきほどの「ふるさと東須佐」を取り寄せてみると、宮尾山について「遷宮のときにはこの山上から火玉が飛んで本殿に入ると伝えられている(須佐神社社伝)」とのことである。
コメント