須佐神社から八雲風穴に至るまでに狭くなった県道は、鬱蒼とした木立のなかを縫うように走る。
このあたりがちょうど大字朝原と宮内(現在の須佐)の境界あたりで、小字名では才の神と呼ぶらしい。
道祖神である才の神
才の神とは塞の神ともいい、道教が由来で道祖神である。
ほかにも猿田彦神や地蔵の化身と伝わる地域もある。
おそらくかつては全国各地の路傍に祀られていたのだろうが、こと出雲の山里を歩くと現在も至るところで大切にされている様子だった。
木立に入る手前の県道脇に小高い丘があって石段を数歩上がると時代に取り残されたように、自然石からできた石碑が祭祀されている。
ていねいに作られた石垣上には左から「大山都見命・八重山命」の碑、中央が「秋葉神石」と銘が刻まれている。
右奥にも複数の石が並べられている。
旧佐田町内でも土地改良や道路拡幅などでそれまでの場所から一つに集められた碑も多いようである。
これも時代の流れといってしかたないのだろう。
砦跡を利用した神社
朝原から引き返して峠道を進み、須佐の飼領に向かった。
ここには尾崎下がりの城跡(小字名:谷尻上み)があり、つづら折りに蛇行する県道39号の旧道は段々になった郭を利用している。
その主郭にあたる部分には旅伏(たぶせ)神社、大山神祠、社日塔が祀られている。
地元でいう”旅伏さん”の祭神は速都武自和気命(はやつむじわけのみこと)とされ風の神である。
防火の神、旅行安全の神であったが、戦時中はとくに武運長久の神として広く信仰されていたそうだ。
社日塔
境内には社日塔と呼ばれる六角形の石柱もあった。
中国地方の神社でよく見かけるもので、それぞれの面に天照大御神を始めとする神名が刻まれている。
こちらは朝原の郷に建てられている、出雲市平田町の一畑薬師の石柱である。
眼病の神様として知られており江戸から明治にかけて一畑講参りも盛んだったという。