須佐の稲田地区を南に向かって走る林道神和線をさらに歩いていくと、大工さんが家の修理をしていて、それを見守る車いすのおじいさんとともに、「どこに行くのか」と話しかけられた。
雲行きが怪しい情報
かくかくしかじかで岩屋寺跡まで行きたいのだと答えた。
すると、「この林道からも行けなくはないが、道もないし難しい」とのことで、地元の人が知っている道を教えてくれた。
ただ、その道はおじいさんが若い時分に聞いたというルートであり、おそらく茨や背丈以上の草で道なき道になっているだろう、とのことだった。
先行きが心配な話を知って不安になった。
しかし、今回、このルートからは岩屋寺までは行けずとも、「佐田町史」の地図の標高と地形図の三角点を照らしあわせた結果、この林道のすぐ脇にかつて鐘つき堂跡があったことは確実なので、そこまで行ければいいと思った。
林道をひたすら上がっていく
不思議そうに、そして心配そうな顔をしているおじいさんたちの家を去り、さらに林道を登っていく。
路面はすぐに砂利道となったが、現在も作業用の車などの往来があるらしく轍もしっかりしていて普通車でも楽に上がれる感じだった。
30分ほど汗をかきかき登ると、道の様子から判断して鐘つき堂のあったあたりまで来た。
道の脇が3mほどの高さの切り立った丘になっているので、登ることは断念した。
しかし、岩屋寺跡までは100mぐらいの場所まで来たうれしさがあった。
ただ、目的の方向へは牛を飼っている牧場の柵があったり、畑があったりで、この先を横切って谷を降りるのはあきらめることにした。
山の中、当然聞く人影もない。
しかたない。
鐘つき堂のかわりに美しい山並み
最前のおじいさんのルートで再々チャレンジをと引き返していた道すがら、北を望むと遠景にはあの須佐神社の元宮があったという宮尾山が目の前にあった。
その形は大和の三輪山にも似て、美しい輪郭であり神々しい。
宮尾山の背後には古城跡や祭祀跡もある黒山が控えている。
岩屋寺というのがまさに宮尾山と岩屋寺跡の岩窟のラインを確固とするためのものだったのだと気づくことができ、自分がそのラインの一点に立つためにいま来たのだと感じて胸が熱くなった。
大工さんのところまで引き戻し、ざっと経緯を伝えて、そこからさらにおじいさんが教えてくれた行き方、白滝ルートを目指すことにした。