文芸雑感——俳句を中心としてーー
中川泰郎(昼間主・英米文学・三回生)
上 (その1)
小説と俳句の方向性の差異
小説は混沌としたなかからやがて、収斂された核を見出すものであるが、短詩型文学(特にここでは俳句)は反対に、その句を胸に収めた瞬間、濃縮された核が、ぱっと宇宙的なまでの広がりを見せる、文芸である。
つまり、両者の文学的表現の方向性はまったく正反対なのだ。
もちろん、作者の側からすれば、読者が鑑賞に際してたどる過程とは、それぞれ逆の方向で創作していくことになる。
たとえば、小説家は書きたいこと(思想や哲学、感情あるいはありのままの事実など)を表現するために、果てしない虚構の世界を作り出す。
一方俳人は、無限大の自然を観察し的確に写生することによって、その切り取られた自然の一片を十七文字のなかに凝縮させるのだ。
そういう意味合いで、作者と読者とは、まったく反対の過程を歩むのである。
したがって、小説は「自己志向的」であるのに対し、俳句は「他者志向的」である、ともいえるだろう。
小説は〈個〉の表出が重要視されるが、俳句はいったん〈個〉や〈己〉を殺さなければどうにも進まない。
俳句に求められる作者と読者の共通項
また俳句の鑑賞は、小説以上に、読み手の感性や文学的知識に左右される。
特に俳句では季語によって作者と受け手がある情景(イメージ)を共有するために、季語に関する素養は欠かせない。
「蚯蚓(みみず)鳴く」と聞いて、秋の夜の情景が目に浮かばなければ先へと進めないのである。
(ちなみに「蚯蚓鳴く」とは山本健吉の『基本季語五〇〇選』では、「秋の夜、ジーッと切れ目なく長く、何ものとも分かちがたく鳴く音」をいうらしい。)
第二芸術論の衝撃
ところで、さきにふれた小説とはあくまで近代以降の文学を指しているが、そうなると俳句そのものの嗜好性が小説と異なるのは当然であろう。
発句までその幅をひろげたとして、わが国最初の俳諧撰集といわれる『竹馬狂吟集』の成立が明応八年(一四九九)、時代的にも正岡子規までの約四百年間、封建制の、しかもわが国の他者志向性が色濃い時代に俳句は型作られたものだからである。
(もちろん本質的には現代俳句もさほど差異はないだろう。)
この、小説と俳句のちがいを鋭く見抜き、「近代的ジャンル」である小説と比して、俳句を「第二芸術」と痛烈に批判したのが、フランス文学者・桑原武夫である。
岩波書店の雑誌『世界』昭和二十一年(一九四六)十一月号に掲載された「第二芸術ーー現代俳句についてーー」は戦後の俳壇を中心に大きな衝撃を与えた。
彼は俳句を、「老人が余暇にする菊作りと同じだ」と斬り捨てたのである。
[上]その2 へつづく
[itemlink post_id=”18757″]
[itemlink post_id=”18758″]
[itemlink post_id=”18742″]