伊雑宮を参拝後、境外所管社である佐美長神社へ立ち寄りました。
伊雑宮の境外所管社
標高10mほどの小高い丘の上にあります。
道から石段を上がっていくと木立の中にちょっとした空間があって、左手に佐美長神社、正面に佐美長御前神社が控えていました。
伊雑宮の雰囲気とはまたちがって、古い土地のエネルギーがコンパクトにまとまっている様子です。もともと伊雑宮とは若干方向性が異なる古代祭祀場だったのを、時代が下がるにつれて統合されていったようにも感じました。
明治以前は大歳宮(おおとしのみや)、穂落宮(ほおとしのみや)などさまざまな社名で呼ばれていたそうです。
地元では「穂落としさん」という地域の神様として親しまれていることからも、伊雑宮とは意味合いの違いが感じられます。
穂落伝承
垂仁天皇27年9月、倭姫命一行が志摩国を巡幸中、1羽の真名鶴がしきりに鳴いているところに遭遇した。
倭姫命は「ただごとならず」と言い、大幡主命と舎人紀麻良を派遣して様子を見に行かせた。すると稲が豊かに実る田を発見、もう1羽の真名鶴は稲をくわえていた(「くわえて飛んできてその稲を落とした」とも)。
倭姫命は「物言わぬ鳥すら田を作り、天照大神に奉る」と感激し、伊佐波登美神に命じて抜穂(ぬいぼ)に抜かせ、天照大神に奉った。
その稲の生育していた田を「千田」(ちだ)と名付け、その傍らに神社を建立した。
これが伊雑宮であり、真名鶴を「大歳神」として祀ったのが佐美長神社である。
『倭姫命世記』より
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