映画「アデル、ブルーは熱い色」を観ると確実にボロネーゼが食べたくなります!

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いま話題の「アデル、ブルーは熱い色」を観てきました。

2013年のカンヌ映画祭でパルムドールを獲得したフランス映画です。

メディアではレズビアンのセックスシーンを過激に描いたという角度をメインに取り上げられ方をされているようですが、セックスシーンは映画の大切な構成要素の一部分であり、むしろ審査員長のスピルバーグ監督が「これは同性愛の物語ではなく、素晴らしい愛の物語だ」絶賛したそのままに、あまりにリアルで率直に恋愛を描いた日常的な映画といえます。

観劇メモ

食事が非常に効果的な小道具

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食べるシーンがポイントごとに多く登場する。

冒頭、アデルが両親と家で夕食を食べているシーンでは、鍋にどかっと作ったパスタ入りのボロネーゼを雑に取り分け、3人がバクバク食べる。
とくにアデルはすするときも口の中で噛むときもクチャクチャ音を立て、口の中の食べ物もよく見える
食事をしたり料理を作るときには何度も指を舐める。

こうした食事の何気ない摂り方が彼女の生まれ育った家庭環境や階級、両親、性格、そして高校生が隠し持つ幼児性を見事に演じきっていると感じた。

アデルの家庭はボロネーゼとやすい赤ワイン。
エマの家庭は生牡蠣と白ワイン。

見終わるときっとボロネーゼが食べたくなる。

アデルの潤んだ目

高校生の彼女は、よく食べ、よく寝て、よくセックスをするという、人間の素直の欲求を無邪気に全身で表現する。
だからこそ、些細なことで自分の中に社会や常識とのズレを感じると、ふと目が潤んで途方に暮れた遠い目をする。

この一瞬の目の演技がアデルが大人になっていこうとする意志や男性的な言動を自分に組み入れていこうとするゆるやかな過程を描いていたように思う。

二の腕への熱い視線

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アデルが青い髪の美学生エマと親密になり公園で寝そべって時間を過ごす。

この二人の距離が近づくプロセスではかなり言葉でのやりとりが抑制されている。
恋らしい駆け引きの言葉の応酬や好きかどうかを遠回しに尋ねることも目立ってない。
それよりも、アデルが無言のままエマの後ろ姿を横顔をじっと見つめていく。
それだけでアデルの熱い恋心とそれを余裕を持って受け止めようとするエマの関係が際立っている。

とりわけ公園のシーンではアデルは言葉もほとんど発することなく、エマの肩から二の腕を何度も凝視するカメラワークが使われる。
夕日にエマの白い腕と産毛が輝いて印象的だが、いよいよ熱いキスシーンとなりその直後の激しいセックスシーンの手前で描かれるのが二の腕にエロスを感じるというのがとても女性の視点のように感じて新鮮だった。

昼と夜の逆転

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映画の中盤はアデルとエマの恋愛関係が丁寧に描かれる。

前半までの色が「食」「眠」「性」だったとすると、後半は「昼の時間」と「夜の時間」にそれぞれ3色が混ざり合いながら塗られていく。
濃密な恋愛のやりとりと激しいセックスシーンのシーンの直後、急に昼の日常生活のシーンが描かれる。

昼と夜の交代の落差がますます大きくなるに連れて、人間の根深い欲望である夜の時間が真実で昼の日常生活がかりそめの時間のように錯覚してしまう。
いや、日常生活のために欲望があるのではなく欲望に資するために日常があるという当たり前だが多くの人が忘れてしまったり気づかないように蓋をしている事実をじわじわと蘇らせてくれる。

恋の終わり

安定した道を歩むという希望どおり先生になったアデルは小学1年生の担任として働く。
だが、初めての「本物の恋」が常にこれ以上にない高揚と身を切るような痛みを与えるように、アデルの恋も寂しさを紛らわせるための浮気によって関係が終わる。

アデルが小学生たちに詩の朗読させている。
アラン・ボスケの詩「なくていい」の一部が使われている。

ゾウの鼻は ピスタチオを拾い上げるためのもの

身を屈めなくていい

キリンの首は お星さまを食べるため 飛ばなくていい

カメレオンの肌は 緑 青 紫 白

動物から身を隠すため 逃げなくていい

詩人の詩はすべてを語るためのもの

数えきれないほどの事を 分からなくていい

まとめ

ストーリーそのものはとくに目新しいものはない。

しかし、食事なら食事、女性の眼差し、しぐさ、同性ならではの感情のやりとり、そして愛がいつも巻き起こす怒涛を丁寧に丁寧に、1つずつ小さな積み木を積み上げるように描かれた映画だった。

またすぐに観たいという映画ではなくて、3時間、アデルとともに時間を過ごしたことで自分が気づかない部分でOSがアップデートされてしまっている、そんな不思議な変容をもたらす骨太なフランス映画である。

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