2011年の春頃から島根県出雲市の須佐神社とその周辺の郷土史について調べています。
とりわけ、須佐神社から直線距離で1kmとない場所にある「岩屋寺跡」への執着が消え去りません。
新情報入手のチャンス
あれから2年余り、しばらく進展がなかったのですが、今月(2013年9月)になって、Facebookのご縁で須佐周辺の歴史に詳しい方とコンタクトを取ることが叶いました。
連絡先をお聞きしたのでお電話をすると大変丁寧に説明してくださり、私の聞きたいことを改めてさらに詳しく知っている人に問い合わせてくれていました。
なぜ「出雲市佐田町」だったのか
本格的に神社めぐりを始めたのが2005年頃からでした。
この8年ほど東は茨城県の鹿島神宮、西は鹿児島県の霧島神宮までそれなりに参拝しましたが、出雲の、しかも須佐神社のある旧佐田町ほど執着をもっていまだに調べ続いる土地はありません。
もちろん、各地にある自分のお気に入りの神社の歴史について不明点はそれぞれに持っています。
伊勢しかり九州しかりですが、文献を集め始めた3年経ったいまでも強烈に地元の人からも忘れ去られそうになっている現地を訪れたいと思うのは本当に不思議です。
今日、信頼している知人から、
「もうやっていることは修験者ですね。でも、これを通り抜けるとステージが一段階上がる感じがします」
といっていただきました。
自分自身でも須佐周辺でどうしてもわからなくて間近まで行ってみたい場所について折り合いがつける日がくれば、おそらく自分が本当にやりたいことが現実として明確に現れ出て、そのまま滑り出せそうな手応えを感じています。
それぞれの場所は中世もしくはそれ以前のものばかりです。
実際にそこにたどり着くことだけが是とは思っていません。
村人からも忘れ去られそうになっていることでそのまま聖地が自然に還り、諸行無常を持って役目を終えようとしていることもあるでしょう。
明らかにすることで逆に大事なものに対して不敬を働くことになるかもしれません。
いずれにせよ、出雲の須佐の人たちが連綿と守り続けてきたものに対して、どんどん人々の記憶から消えていこうとしている現代、とにかくその輪郭を描く程度であってもできないかと思います。
出雲の古層
出雲は今見えている出雲だけではないと感じています。
出雲がありそして熊野があり、物部がありそして須佐があり。
こうした民族ともエネルギーともいえるものたちが歴史の横糸によって何度も模様の書き換えを繰り返しながら、いまの出雲があるのでしょう。
これだけは理由のない確信があるのは、私が調べているいくつかのポイントがきっと次代において本来の本来の本来の出雲の根幹を見直す一つのきっかけになるということだけです。
おそらく来春ぐらいまでには一つのまとめができると考えています。
こちらでも少しずつ進展した成果を伝えられたらと思っています。