伊勢神宮に初めてお詣りしてから、今日(2020年7月10日)で13年が経ちました。
本日7月10日は誕生日。2007年、ちょうど誕生日に合わせて月読宮、そして内宮まで歩いて参拝しました。
当時、スピリチュアルブームでパワースポットという言葉が広がっていた頃です。伝説的なスピリチュアル番組「オーラの泉」が人気だったり、神社に参拝する若者が増えはじめていました。
最初にお参りした伊勢の様子、今でもよく覚えています。梅雨どきで、伊勢の空は曇り空。近鉄で五十鈴川駅に降り立ったものの、月読宮の場所がわからなくて、神宮司庁に電話して教えてもらってたどりつきました。
道路沿い左手に大きな森が見えて、その縁取りを歩いて行くと鳥居があります。そこから砂利道をゆっくり歩いて行けば、森の中に4つの社が並ぶ姿に言葉がありませんでした。
中でも一番左手の伊弉冉尊を祀る伊佐奈弥宮から伝わってくる空気感がとても気に入って、しばらく立ち去ることができないままじっと見つめていました。
それから、小雨の中、途中猿田彦神社に立ち寄って内宮まで徒歩30分ほど。梅雨空の下、霧雨を歩いてゆく感覚が身の穢れを落としてくれるようです。
内宮に到着したのが16時過ぎ。祈祷の最終受付が迫っていたので、先に神楽殿でお祓いをしてもらいました。誕生日、伊勢内宮でのご祈祷。生まれ変わったような心地がしました。
伊勢にはその後、折を触れて訪れることに。神社巡りのピークだった2010年には年間5回、伊勢にお参りしたこともありました。出雲に行けば伊勢に、伊勢に行けば天橋立にと、バランスを取るかのように毎月、もしくは隔月でお参りすることが、その頃の自分にとっては何ものにも変えがたい癒しだったのでしょう。
最後に伊勢に行ってから3,4年が経つこともあって、今年は誕生日に伊勢で過ごそうと思っていたものの、大雨が続いてやむなく旅行を取りやめました。
行きたいという気持ちは強いものの、ただ、伊勢は自分にとってここぞという気合いのいる場所なのも確かです。伊勢に滞在すると、内宮や外宮、別宮で身も心も清らかになるような感覚がある一方で、どうしても土地のあちこちから感じる重たさ、空虚感、落ち着かない感じ、というものもあります。
好んで訪れる出雲とはまたちがった緊張感のある場所であって、ここ数回、伊勢とのタイミングがズレることが多くて、なんとも切なさが残ります。
自分と所縁のある地というものは、ただ安らぎのある場所のみではなくて、そのときどきでその場所に向ける自身が土地に対して向ける身の角度、というものが変幻していくのを含めて、神社を巡る行為の奥深さを実感しています。
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